福島の農家が自殺したそうだ。
有機栽培の野菜を作るために30年という月日を費やし、土を耕し、大地を丁寧に育てあげ、おいしく安全な野菜作りに精魂こめた生粋の農業人だという。震災後も見事に実った春キャベツを出荷すると意欲を見せていたが、放射線汚染の可能性を鑑みた出荷禁止の令をうけ、その翌日に命を絶った。
一度汚染された土地は、すぐには元に戻らないかもしれない。故人の思いを理解できるなどとおこがましいことは言えないが、大地を育てる大変さをしっていたからこその決断だったのではないかと考えると、ただ、胸が痛む。
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日本は豊富な水源と豊かな土に恵まれている。日本人は長くその恩恵を受けて、実り豊かな作物の上に生計をなしてきた。自然の脅威、素晴らしさを理解しているからこそ、日本人は粘り強く、ひたむきな努力をいとわない。真剣に向き合えば必ず実りの時は来るものだと、自身の経験から信じてきっているからだ。
私たちは元来の努力気質に加え、月や花を愛でる愛情細やかな精神性をもって戦後の50年を必死で生き抜き、世界一の先進国とまで謳われるようになったが、本来は土とともに生き、「ものづくり」に生きる素朴な民だと言えるだろう。諸外国のように世紀を超えて隣国との戦にあけくれた海千山千の狩人とは赴きが違う。それを日本人は理解すべきだ。私たちは私たちでしかないし、それが私たちの一番の長所でもある。
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国家(リーダー)として今、職人気質の国民(チーム)に示すべきは、今後の長期的なものづくりの展望だ。短期的なごまかしをやったところで納得するような国民じゃない。おとなしくしていても、心には炎のような情熱がある、納得できる方向性さえ示してやれば勝手に近所の人と手に手をとり、馬車馬のように働き出す心強いチームである。
たとえ全てが消えてしまっても、優れた人さえいればモノは何度でも構築できる。働く場所を失った農家や漁師、部品工場の技術者などには長年の腕があるのだから、行政は率先して彼らが安心して働ける場を提供することは必至となる。全国の各市町村を網羅する協力インフラシステムがないことは決定の遅延を招くだろうから、行政はスムーズに横連携のとれる土台作りを早急にすませ、彼らの士気がポシャる前にあらゆる技を守る準備があることを示しすことが大切だ。
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日本はものづくりにおいて、教育において必ず一番でなくてはいけない、と私は信じている。
「2番じゃだめなんですか」とのたまう幸せな人も存在するようだが、災害でボロボロになっても「それでも日本の製品でなくては」とお客さんに言ってもらえる最高の商品品質・サービスを愚直に提供し続けることが、ひいては日本の経済を潤沢にし、国民を豊かな生活へと導くからだ。
東北には多くの自動車部品工場が点在するが、今後、日本の部品サプライヤーから中国やインド資本のサプライヤーへと切り替える動きも出てくるだろう。ただでさえ業界全体がOEMによるグローバル化、商品価格の安価化へとシフトする中、震災に見舞われ再開のめどがたたない日本のちょっと高価な部品サプライヤーを切り捨てることは無理のない流れといえる。それでも、「日本のあの部品じゃないとダメなんだ」と言ってさえもらえさえすれば、この流れは阻止できる。今こそ、一番でなくてはいけないんだ。
いずれの産業にせよ、官民一体となったサポート体制は必死だが、政府には、ここはなんとしてでも日本の産業を守るために一肌も二肌も脱いでもらいたいと心から願う。