ほのかにアートな東京ライフ。都内でわさわさ働くまりもの日記。趣味は海洋生物、フランス系芸術、音楽、写真。Copyrigt-©lamusique All Rights Reserved. lamusique@excite.co.jp


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<   2009年 10月 ( 7 )   > この月の画像一覧

散歩道

一ヶ月ぶりに散歩にでました。
空気は肌寒く感じられましたが、考えてみれば11月も目前に迫っているのだから当然ですね。

公園の木々もまた秋の装いの準備に余念がないようで、せっせと色味を変えている真っ最中というところでしょう。
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バス停に着くと、「予定より一分早くバスがきて、逃してしまったの。」と悲しむおばあさんが。「後のバスにのった方が良いことがあるんかもしれませんよ(´∀`)」とお返事したら、「そやね、ありがとう。」と笑われた。

万事塞翁が馬って言うよね?こういうスローな考え方って私が南国育ちだからかもしれん。



本日気になった言葉。

「善き意思、あるいは悪しき意思が世界を変化させるとき、変えうるのはただ世界の限界であり、事実ではない。すなわち、善き意思も悪しき意思も、言語で表現しうるものを変化させることはできない。(・・・)」ウィトゲンシュタイン著 『論理哲学論考』 野矢茂樹訳

個人的には、ウィトちゃんのこっそり日記(勝手に命名)の方が人間くさくてすきです(・∀・)。天下のウィトゲンシュタインが、愚痴ったりキッスがどうのって悩んだりしています。わはは。

論理哲学論考 (岩波文庫)

ウィトゲンシュタイン / 岩波書店


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by lamusique | 2009-10-28 00:51 | 本日のまりも

気づき

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「ハートをどうぞ♪」

さほど広くない庭も、よくよく見れば小さな生き物がそこかしこに息づいてる。

こんなところに小さな花が咲いていたんやなあ、と写真を撮って拡大したら、花の隣にはハート型の葉っぱ、後方にアリらしき虫が厳かに鎮座していた。

あんなに目をこらしてカメラを構えたのに、私はすぐとなりの小さな生き物が見えてなかった。きっとありふれた日常の一こま一こまで同じことがおこっているんやろう、そう思うとせんない気持ちになった。

大学では自身を言葉の専門家の卵と称して、昼夜そのテクストが何を言いたいのかを考え、人にはない発見を追い求めていた。きっと本当は、大昔の書物にある『テラス』の意味を詮索するよりも、今そこにいる世界をしっかりと見つめて、そばにいる人の言動に深く注視し、その人の言葉が言わんとすること、求めていることに気づいてあげる方がよっぽど現実的でタメになるのじゃないかと思った。

研究そのものを否定する気はないし、研究によって読み解かれた書物のおかげで私は救われもしているわけだから、結局はバランスの問題なのかもしれないのだけど。
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by lamusique | 2009-10-23 09:43 | 写真

秋の赤色

庭に咲くチェリー・セージ。
赤いお花は今が満開!と得意げに説明したいところだけど、初夏頃からずーっと満開だったような気がする。笑
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秋の赤、というと「O WILD WEST WIND, thou breath of Autumn's being(・・・)」で始まるシェリーの『Ode to the west wind(西風のオード)』を思い出します。

秋の枯葉を"hectic red"と表現するくだりがあるのですが、吹きすさぶ風に舞い上がる、いわば朽ちた赤色の枯葉を「いっちゃってるくらいに燃えてる赤」と捉えた詩人の感覚が情熱的で好きだ!!と、初めて読んだ時に嬉しくなったから。

どうなのでしょう。「サルビアのように赤い唇」などとやや性的な表現をさそう赤色の一年草がある一方で、紅葉の赤色を着物でまとう芸者が熱っぽく語られた事はあったのでしょうか。秋の色づきといえばワビサビ、とある一定の固定概念に基づいてこの季節を迎えていた私ですが、シェリーの詩を読んで以来、秋に植物が見せる赤色は、彼らが放出する狂わんばかりの情熱に思えて仕方がないのです。

■以下、参考箇所■

「(・・・)Yellow, and black, and pale, and hectic red,
Pestilence-stricken multitudes : O thou,
Who chariotest to thier dark wintry bed(・・・)」

(訳:ネットより抜粋)
「(・・・)黄色に 黒に 灰色に 真っ赤な色に
染まった枯葉がおびただしく舞う 西風よ 
お前は種を吹き飛ばして地上にばらまき(・・・)」



というわけで。
本日も、庭を眺めて過ごしました。←定型文になりそう
お父さんの風呂イスが思いのほか良い塩梅だったので、テラスに出してぼんやり座ってます。近所の人に変な人やと思われてるわ。笑

そうこうしてたら東京のヘッドハンターから数本電話があって、中でもかなり興味のある案件が二つ。外出もままならないこんな状態でどうやって都内で仕事を続けよう(・ム・)、と思いつつ 面接のアポ入れちゃった。

(;´∀`)アレマー!

どうしよう、一人で東京にいける自信がないぜ。あーん、だれか丸の内口まで迎えにきてください。お礼は出町ふたばの豆大福でナー。
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by lamusique | 2009-10-21 19:26 | 写真

Autumn Leaf

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たくさんの色をまとい、光のプリズムで艶やかに色を変える秋の木々です。

すっかり寒くなりましたね。
冬がもう駆け足で近づいてきているように感じます。



プリズムといえば、私の顔も秋のプリズムマジックで誤魔化してしておくれよ、というのが今の心境です。

泣きはらしてドンヨリとした表情に冴えはなく、妹に「え、それでお化粧してたのん?( д)゚゚」と驚愕され、「あら、そんな本当のこと言って(;´∀`)!」と母に微妙なフォローをされて、いよいよ本当にヒドイのだと実感したのです。

不憫に思ったのか、夜に私の部屋を訪れた妹が顔の半分だけお化粧してくれました。
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by lamusique | 2009-10-19 07:41 | 本日のまりも

Bee, in love.

ひれ伏すようにローズマリーに口づけるミツバチを見ました。
フワフワの背中にくるりと花弁をまわすのがローズマリーです。

ローズマリーはこの季節、薄紫の綺麗な花を咲かせるんですよ。
ミツバチに蝶々にだんごむし、秋の庭もなかなか賑やかです(´∀`)。

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Title: 「Bee, in love」

*Rosemary: 属名 Rosmarinus は「海のしずく」の意、愛や貞節の象徴とされる。
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by lamusique | 2009-10-16 20:39 | 写真

生きる。

大切な人を亡くし、幾週間かが過ぎました。

悲しみは日増しに狭く、深くなるようで、現実をあるがままに受け入れることは非常に難しいと痛感しています。
堪えがたい感情はいかなる言葉をも無力にするほど強烈で、脳裏にやきつくすべての思い出が刃となって自身を切り刻むようにも感じます。

抗いようのない感情のうねり、まとまりなく錯綜する思いをこのノーテンキなブログに吐露し、見知らぬ読者の方々と共有することを躊躇していましたが、過ぎた日々をブログ上の日記で振り返り、故人の存在があったゆえに過ごせた幸せな日々を想い、感謝し、今ここにその人の生きた証として、記憶の断片を記したいと考えるにいたりました。

おそらく、少しずつしかお話しすることはできないと思います。書いてもまた消すようなことがあるかもしれません。また、それがこのブログの読者になんの意味をもたらすのか分かりません。それでも、これが今の私の日常であるということなのでしょう。



故人が骨になり、宇宙の一物質と化したことを理解はしても、理性と心は必ずしも一致しません。
うねっては返す感情の波に漂い、立ち上がろうと力を入れた次の瞬間には根底から崩れ落ちていく、これを一日中とりとめもなく繰り返しています。いつか見た映画のように慟哭し、そのうち半狂乱になって、帰ってきてほしいと、一目でいいから会いたいと、触れたいと、抱きしめたいと、愛していると泣き叫びたいと思うのですが、なぜか今、私はただ静かに泣くよりほかになすすべがありません。



告別式の日、住職は言われました。故人は納得して亡くなっている。「ごめんね、ありがとう」と、そういう穏やかな気持ちだけが伝わってきますよと。そして疑い深い俗人;私は思いました、「誰にでも言ってるんちゃウン!」。でも、他方で信じたいという気持ちがあり、住職が続けた言葉が本当であれば本当に良いのにと思っています。「故人があなたと出会い、亡くなる日まで過ごせたことを幸せに思い、感謝していることを理解してあげることです」――。私はしかし、やはり、信じたいのです。



死は、日常の延長にはありません。
予期しないもので、また想像しうる「理解」の範疇を超えていました。

私は今、死後の世界を案じ、霊を弔い、祈る――。こうした古来からのしきたりが持つ意味を探り、哲学者の言葉を借り、仏典の教えを頼りに救いをえようともがいています。

お経をとなえて成仏を祈り、故人は海に帰ったのだと落ち着きを取り戻し、空からあなたを見守っていると言われて頷いてはみるものの、いやそうではない、もはやカルシウムと化しただけだ、見守っているかなど分からない、今はすべてが無に帰したのだ、いないという事実がだけが真実なんだと投げやりな気持ちにもなります。

そして最後には、この存在の無、無がもたらす混沌とした感情の渦を、すべて受け入れざるをえないことに愕然とするのです。

私にとって「死」は、受け入れられるものであると同時に受け入れられないものであり、そこに横たわる厳然たる真実でもあり、およそこれまでに見聞きした言説によって説明しうるものではありません。あらゆる書物は私に何かを問いかけますが、いかなる崇高な教えも哲学も、結局は自分の信じる道を模索する行為にほかならないと今は思うのです。

「人の死は、どうにもできない事実である」と友人は言いました。また「残された本人にしかこの事実を消化することはできない」とも言いました。私は小学校来のこの友人の存在に感謝しています。
結局のところ、答えは自分の心の中にしかないのでしょう。



故人がいないと夢で泣き、朝目覚めてやはりいないと泣きました。これがいつまで続くのか、想像すれば果てなくて息苦しくなります。ともに歩んだ道、愛でた景色はいつかの時まで封印されることになるでしょう。それでも、私には生きていくという以外に選択肢を持ちません。こうしてここに今の気持ちを記して、ひとまず今日を生きるという心持ちで立ち上がり、前を向くべく努めています。私は今この時に、声をかけてくれる存在に感謝してやみません。



もしも、これを読むあなたに耐え難いと思うつらいことがあっても、どうか生きてください。あなたがそこにいるだけで、幸せに思う人がいます。あなたの求める言葉のかけ方、優しさの示し方が分からない周囲を許して、生きてください。

もしも、これを読むあなたに愛する人がいるならば、そのことを伝えてあげてください。愛していると抱きしめてあげてください。言葉にしてはじめて伝わることもあると思うからです。

もしも、あなたの支えとなるささやかな喜び、人があるならば、そのことに気づいてあげてください。嬉しいと、ありがたいと伝えてあげてください。伝える相手がいるうちに伝えることに意味があると思うからです。

生きていることに意味があるのかどうか、私には分かりません。それでも、思い通りにならないことが7あったとしても、残り3の喜びに幸せを見出すのが人生なのではないかと思います。そして生あるかぎり、やり直しは何度でもきくものです。そのうち、死は誰の上にも静かに訪れます。長く時間をかけることもあれば、その日は突然訪れるかもしれません。だからその時まで、今そこにある小さな身近な幸せを幸せと気付いて、かみしめてください。きっと人生というのはそうしてゆっくりと歩んでいくものなのだろうと私は思うのです。
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by lamusique | 2009-10-14 14:03 | 生きる

静寂に、君を想う

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静寂に、君を想う。

どうか祈りを。
おおいなる安らぎを、君に。
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by lamusique | 2009-10-10 20:00 | 写真